塩浸温泉 龍馬公園へのアクセス|坂本龍馬はメチャクチャ女性にモテた!

塩浸温泉 龍馬公園へのアクセス情報です。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

私は元々歴史が苦手で、坂本龍馬にも全く興味がありませんでした。

そんな私が遅ればせながら坂本龍馬の偉大さを知り、彼が新婚旅行で立ち寄ったという塩浸(しおひたし)温泉へぜひ行きたいと思い、鹿児島まで行ってきました。

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塩浸温泉 龍馬公園へのアクセス

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

住所鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606

TEL0995-76-0007

塩浸温泉 龍馬公園へはバスで行けます。

  • JR嘉例川駅からいわさきバスで約4分
  • JR国分駅からいわさきバスで約30分

塩浸温泉バス停下車(塩浸温泉バス停よりすぐです)

車利用の場合、九州道溝辺鹿児島空港ICから国道504号、県道56号、国道223号経由9kmです。約15分で着きます。

塩浸温泉 龍馬公園

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

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山の中なので、カーナビに案内してもらいながらようやく到着しました。

何もない山の中にあるので、うっかりすると通り過ぎてしまいそうです。

大きな看板を見つけて、ここよ~と一安心しました。

坂本龍馬がお龍さんと新婚旅行に行ったことで有名な温泉が「塩浸(しおひたし)温泉」です。

塩浸温泉 龍馬公園内にあります。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

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坂本龍馬は寺田屋で襲われとき、お龍さんの機転に助けられましたが、深手を負ってしまいました。

それで、西郷隆盛のすすめで、傷が治るという温泉に新婚旅行を兼ねて行ったわけです。

公園内に塩浸温泉(しおひたしおんせん)がありました。

かなりひなびた温泉です。

現在あるのは、龍馬が湯治した源泉を利用した「龍馬とお龍の湯」です。

(実際に龍馬が入ったといわれているのは川の横にある露天風呂で、現在は諸事情により入れません。)

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

こちらの温泉に入れます。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

この山道を二人で下りて来て、温泉に入りました。当時は川の横に道がありませんでしたから。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

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塩浸温泉は、1806年(文化3年)頃、温泉で鶴が傷を癒していた事から『鶴の湯』と呼ばれ、切り傷や胃腸に効能があると言い伝えられてきました。

龍馬資料館 この世の外

公園内には「龍馬資料館 この世の外」があり、館内には龍馬ファンで有名な海援隊の武田鉄矢さんの写真が飾ってありました。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

やっぱり来ていた、武田鉄矢!

ちなみに、「龍馬資料館 この世の外」の命名は、龍馬の手紙の中にある「げに、この世の外かと思われるほどのめずらしきところなり」という一文からきています。

龍馬は幼くして母親を亡くし、姉「乙女」に育てられました。

その乙女姉さんに宛てた手紙の中の文です。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

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昔、高知を旅行したときに桂浜へ行き、有名な坂本龍馬の銅像を見ました。

近くに資料館がありましたが、その当時は坂本龍馬に全く興味がなく、なんと入館料をケチって入らなかったという過去を持っています。

(今度高知に行ったら、絶対に入ります。)

こんな私を変貌させたのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」です。

「竜馬がゆく」を読んでから、あまりの偉大さ、カッコよさに、坂本龍馬をもっと知りたいと熱烈ファンになりました!

武田鉄矢さんの気持ちがよくわかりました。

あのとき、入館料をケチったのを深く反省した次第です。

「龍馬資料館 この世の外」には、龍馬が乙女姉に宛てた手紙がたくさん展示してあり、有名なものもありました。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

訳すと・・・

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

有名な「今一度、日本を洗濯いたし候」ですよね。

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

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坂本龍馬を詳しく知らない人へ

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私は坂本龍馬を全然知りませんでした。

最近まで、いったい何者なの?というレベルでした。

学生時代の歴史の教科書にはその名前が出てきた記憶がありません。

大政奉還は知っていましたが、まさか大政奉還の影の立役者が坂本龍馬だったとは!

勝海舟は歴史の教科書に登場しますが、大政奉還の数日前に暗殺されてしまった坂本龍馬は出てきません。

坂本竜馬の暗殺を知り、勝海舟は涙を流したそうです。

勝海舟は後日、大政奉還は龍馬が一人でやったことだ、と言ったそうです。

血を流さずに世の中を変えるには、将軍が朝廷(天皇)に政権を返したらいいというアイディアを考えたのは勝海舟です。

勝海舟は天才でした。

しかし、考えた勝海舟でさえ、無理なことだと思っていたらしいです。

大政奉還とは徳川家が264年にわたり握っていた政権を、第15代将軍・慶喜が1867年(慶応3)に朝廷へ返上した大変革です。

鎌倉幕府から約700年続いた武家政権が終わったのですから、たいへんなことです。

薩摩・長州藩、公家を中心とする討幕派が「王政復古の大号令」を発して、天皇を中心とする新政府を樹立しました。

これがのちの戊辰戦争につながります。

新政府の構想メンバーに坂本龍馬の名前が入ってないのを不思議に思った西郷隆盛が、なぜ龍馬の名前がないのかを本人に尋ねたところ、自分には政治は似合わない、日本に留まらず、世界を目指したいと言ったそうです。

その代わり龍馬のもと、海援隊で働いていた「陸奥宗光」がメンバーに入っていて、この人はのちの伊藤博文内閣で外務大臣になりました。

陸奥宗光は、今の自分があるのは「坂本先生」と「中岡先生」のおかげです、と言っていたそうです。

中岡慎太郎ですね。

龍馬と一緒に暗殺された中岡慎太郎は瀕死の重傷で、切られたあと3日くらい生きていたらしく、切られたときの様子を詳しく語って亡くなったそうです。

坂本龍馬は「脳髄をやられたから、俺は死ぬ、残念だ。」と言って、最後に明るい笑顔になり、亡くなったそうです。

暗殺は本当に残念でした。

坂本龍馬は海援隊の前身である「亀山社中」を作り、日本で初めての株式会社を作った人物です。

かなりの商才の持ち主でしたね。

龍馬って女性にモテたのね~

塩浸温泉 龍馬公園 アクセス

そうそう、坂本龍馬は女性にモテたんですね。

奥さんのお龍さんとの新婚旅行の地が「塩浸温泉」ですが、江戸では千葉周作道場の師範代の千葉さな子さんに思いを寄せられていました。

千葉さな子さんは坂本龍馬亡き後、自分は坂本龍馬の婚約者だと言って、生涯独身で過ごされたそうです。

故郷の土佐では、身分違いのお姫様と仲良くなっていたようです。

京都にはお龍さんがいて、長崎には人気芸妓のお元さんがいました。

長崎にお龍さんが住んでいた頃、お元さんのところに泊まって帰ってこない夫にイライラしていたようです。

行くところ行くところで、女性にモテていたようですね。

故郷のお姫様は、身分が違うので自分は坂本龍馬とは結婚できないとわかっていて、坂本龍馬の結婚相手は気の強いお龍ではなく、千葉さな子さんがいいのでは、と思っていたらしいですよ。

メチャメチャ複雑な男女関係です。

他にも、龍馬を愛した女性はたくさんいました。

仕事ができる男は女にもてる、ってことでしょうか。

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