宗像大社の御朱印
【神宿る島】宗像・沖の島と関連遺産群が世界文化遺産に登録されました。
平成14年度より始まった、世界遺産登録推進活動が実を結びました。
地域の小さな声が、宗像市、福津市、福岡県の行政を巻き込み、10年以上の歳月を費やしてようやくたどり着いた世界文化遺産登録です。
宗像大社はお正月にお参りする神社としてなじみのあるものですが、沖ノ島は子供のころからなじみの薄い島でした。
能古島や志賀島は海水浴でよく行きましたし、志賀島にいたっては歴史の教科書に載っています。
卑弥呼が賜ったとされる金印が出土したところですから。
でも、沖ノ島はあまり身近な島ではなかったですね。
まず、女人禁制で島に渡れません。
沖ノ島には定住者はいません。
神職が10日交代で日々祭祀を行い、たった一人で島を守っています。
沖ノ島は、一木一草1石たりとも、島から持ち出さない、女人禁制、上陸時の海中での禊(みそぎ)などの掟(おきて)が今も固く守られている、神の島です。
手つかずの自然の「絶海の孤島」です。
沖ノ島の考古学的価値が宗像三宮で紡いできた信仰により守られ、成り立っていることを発信し続け、今回それが国際的に認められました。
宗像大社の御朱印
一時期、御朱印帳をもって神社に行くのがマイブームでした。
スタートは、富士山の2合目にある「浅間神社」です。
浅間神社の荘厳さに圧倒されて、木々の間に漂うマイナスイオンをものすごく感じました。
それぞれの神社の御朱印が達筆だったり、デザイン的にも面白かったり、どんな風な御朱印をいただけるのだろうと、わくわくします。
平日にもかかわらず、御朱印の順番待ちの人がけっこういました。
順番が来たら、マイクで呼び出されるシステムになっています。
宗像大社とは?
宗像大社は歴史が古く、古事記や日本書紀にも登場する古社です。
祀られている宗像三女神は天皇の祖先神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の御子神といわれています。
宗像三女神とは?
- 田心姫神(たごりひめのかみ)・・・沖津宮(沖ノ島)
- 湍津姫神(たぎつひめのかみ)・・・中津宮(大島)
- 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)・・・辺津宮(九州本土)
宗像三女神は皇室・国家の守護神として、沖津宮(沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(九州本土)の三宮に鎮まりました。
沖ノ島は玄界灘のほぼ真ん中に位置する周囲わずか4kmの島です。
九州本土の辺津宮(総社・宗像大社)より派遣された神職がたったひとりで島を守っています。
私たちがお正月に初詣に行く宗像大社は辺津宮(総社・宗像大社)です。
広大な神苑は国の史跡に指定されています。
本殿を中心に、各種祈願を行う祈願殿、第二宮(沖津宮)と第三宮(中津宮)、高宮祭場、神宝館があります。
本殿から高宮祭場、第二宮、第三宮、神宝館とまわると、宗像三宮を参拝したことになるそうです。
明治38年に日本の命運をかけて始まった日本海海戦は沖ノ島の北西で始まりました。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に詳しく書かれていますが、当時沖ノ島の宮司が電報を受け取り、戦争が始まることを知り、海で禊(みそぎ)をして、祝詞を上げたそうです。
その時はお弟子さんの17歳くらいの少年が一緒にいたそうですが、その少年が木の上にのぼり、遠く戦艦が大砲を打つのを目撃したそうです。
この少年は日本海海戦の唯一の目撃者だそうです。
生前、司馬遼太郎さんがインタビューをしています。
神宝館には、日本海軍の東郷平八郎元帥が宗像大社の神恩に深く感謝し、海軍省より旗艦「三笠」の羅針儀が奉納されています。
中津宮がある大島は人口700人ほどの福岡県最大の島です。
大島には、渡島できない沖ノ島を遥拝(ようはい)するため、大島の北側の海辺に沖津宮遥拝所があります。
女人禁制の掟により参拝できない女性も、ここからお参りできます。
神宝館は、昭和29年から46年までの、三次にわたる沖ノ島の発掘調査を受けて、昭和55年に竣工した博物館です。
神宝館には、沖ノ島神宝(8万点の国宝)を中心に、宗像大社に長年伝承されてきた重要文化財など、由緒に関わる「社殿神宝」が収蔵展示されています。
宗像大社 お守り(値段)
宗像大社は交通安全のお守りが有名です。
福岡を走る車のうしろには、たいてい宗像大社のステッカーが貼ってあります。
宗像大社のお守りの値段は1,000円くらいからです。
車と一緒にお祓いをしてもらうこともできます。
宗像大社の御朱印 まとめ
世界遺産に登録されたので、改めて宗像大社を調べてみました。
思った以上に歴史があり、驚きました。
沖ノ島には女性は行けなかったので、今どき女人禁制だなんて…と思っていましたが、今後はもっと入島が厳しくなるそうです。
男性が海に入り禊をしたあと、島に入っていく姿が時々テレビで放映されていましたが、これからはそれもなくなるようです。