雲仙普賢岳を見て(観光して)きました。
観光というより、普賢岳を見たくて長崎へ行きました。
しかし、雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)には立ち寄っていません。
機会があれば、行ってみたいです。
「がまだす」とは島原地方の方言で「がんばる」という意味で、災害から立ち直り、これからも雲仙普賢岳とともに暮らしていきますという島原に住む人たちの決意が込められているそうです。
普賢岳は静かでした。
溶岩でできた山なので、一目でわかります。
災害当時はテレビの映像を見て、あまりのことに言葉を失いました。
雲仙普賢岳を観光
普賢岳を見ながら、島原半島を一周です。
仁田峠を夕方通り抜けてホテルへ向かいました。
何もない細い山道をちょっとビビりながら走っていると、いきなり大きな門構えのホテルが現れ、それがテレビでよくコマーシャルしている「みかどホテル」だと気が付き、こんな山の中にあるんだ~って驚きでした。
ホント、何もないんですよ。
山道の中にポツンと1軒のホテル。
お土産屋さんとか、通りの店とか、何にもない。
どんと大きな門構えの「みかどホテル」のみ。
山の中腹、何もなさ過ぎて・・・さみしい。
私たちのホテルは小浜温泉だったので、どんどん山道を下りていきました。
遠くに見える普賢岳
普賢岳 大火砕流
1991年6月3日の大火砕流の発生
6月3日15時30分以降、小・中規模の火砕流が頻発し、15時57分には最初の大規模な火砕流が発生しました。
特に大規模な人的被害をもたらしたのは1991年(平成3年)6月3日16時8分に発生した火砕流です。
出典:https://geosciencewriter.jimdo.com/course-note-%E3…
出典:http://c.nishinippon.co.jp/photolibrary/cat678/pos…
出典:http://hibiki15.blog.so-net.ne.jp/2008-09-21-1
現在の旧大野木場(おおのこば)小学校です。
災害記念館として、保存されています。
出典:http://peaceman.jugem.jp/?eid=3986
雲仙普賢岳 溶岩ドーム
今も溶岩ドームは白い水蒸気(煙?)のようなものが出ていました。
ごつごつの岩肌がすごいです。
雲仙普賢岳 溶岩ドームの説明
91年から95年までの噴火ででき、平成新山と名付けられました。 普賢岳(標高1359メートル)の東側斜面の標高1250メートル付近から分かれ、大きさは南北約800メートル、東西1200メートルで、標高は主峰より高いです。 溶岩の量は約1億立方メートルあります。 頂上の「岩尖(がんせん)」は南北約25メートル、東西約250メートルの板状の溶岩の岩で、一度固まった溶岩ドームの中央部を突き破ってできています。 |
普賢岳 火砕流動画
1991年6月3日の火砕流発生の状況。
発生の瞬間から消滅するまでを克明に捉えた学術的にも貴重な映像です。
雲仙普賢岳および平成新山のドローン撮影に成功しました。
映像の最後には貴重なブロッケン現象も見られます。
亡くなられた、消防団員さんや報道の方のご冥福をお祈りするしかありません。
雲仙普賢岳を観光 まとめ
下調べをしないで島原半島へ行ったので、主要な観光コースはほとんど見ていません。
ただ、普賢岳を見ただけです。
島原城もみなかったし、天草四郎もパス。
普賢岳の大火砕流は衝撃的過ぎました。
島原のフェリー乗り場から、船に乗って熊本へ行きます。
フェリーで熊本へ渡りました。
フェリーを下りて熊本を走っていると、海の向こうに普賢岳が見えました。
災害当時は、真っ赤に流れる溶岩が熊本から見えたでしょうね。
今回の旅行は九十九島や熊本の阿蘇山がメインだったので、島原は素通りしてしまいました。
良く調べると、長崎には坂本龍馬の亀山社中跡や、坂本龍馬の銅像がある公園など、いろいろありました。
亀山社中というのは、龍馬が作った日本初の株式会社で海援隊の前身です。
見たかったです~~
坂本龍馬ファンです。
司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」を読んで、気分は坂本龍馬かぶれの武田鉄矢みたいになっています。坂本龍馬の海援隊にもっと活躍してほしかったです。
ちなみに、一緒に暗殺された中岡慎太郎が率いたのは「陸援隊」です。
また、長崎に行きたいですね。